「恋子」と書いて「ココ」と読む。
半世紀プラス6年を生きて、孫が4人!
でもこれって、ごくフツーなのかしら?
ハイカラでロマンチストだった大正生まれの父が
『恋多き豊かな人生を!』との願いを込めて、命名したのだそうよ。
親のその願いも虚しく、初恋の人と結ばれ20歳で結婚。
22歳で長女「夢子」24歳で次女「咲子」26歳で長男「雅(ミヤビ)」
2年越しに二女一男を授かり、子育てに追われているうちに
アッという間に歳をとってしまったようだったわ。
大人になった子供達。やれやれと一息つけば、今度はどういうわけか?
下から順番に結婚。
学生結婚した雅は19歳でパパになり、45歳の私に初孫誕生!
夫さん(亭主のことよ)だって、50歳だったのよ。
俗に言う"できちゃった婚"ね。当然、生活能力も無いから同居。
今でも一緒に、親子三代で暮らしているの。
再就職をして、これから第二の人生よ! いいえ、青春を取り戻すのよ!
45歳になった私のそんな期待も…見事に打ち破られ
孫の面倒をみるハメになったわ。
なにしろ男の双子ちゃんだったのよ。
若くて可愛い嫁ちゃまは『志』があって、大学へ進学したのだから
その『志』を全うしてもらいたいじゃない?
一年間の休学を終えて、息子と一緒に大学へ通わせたのよ。
大変だったわよ! 色々とね。
でも結果オーライだもの。何も言うことないわ。
夫さんなんて「じいちゃん」「じーじー」と双子ちゃんに呼ばれて
すっかりエビス顔の"おじいちゃん"が、お似合いになってしまって…
私は絶対に「おばあちゃん」なんて呼ばせないのよ。
孫の親でもある子供達にも
「今日から私を呼ぶ時は"ココちゃん"と呼んでくださいな」と
おばあちゃんの立場になった日、声高らかに宣言したの。
最初は笑われたけど、今ではすっかりと"ココちゃん"が定着してしまったわ。
次女の咲子は、大学を出て就職した会社に入るなり、上司に見初められて
一回りも年上だけど、半年勤めただけで寿退職しちゃったのよ。
いわゆる"玉の輿"ね。
婿殿の栄転で、今は遠く離れて都会で暮らしているわ。
じきに男の子を出産。嫁に出した立場もあるし、何もかも揃い過ぎてるくらいの
生活をさせてもらっているから、口も手も出さずにいるの。
年二回、盆とお正月には必ず、親子三人で会いに来てくれる。
幸せ一杯という顔をしてね。何も心配してないわ。
ところがね、長女の夢子ときたら!
中学生の頃から、手を焼く問題児だったの。
幼い頃はおとなしくてね。小学生の間だって優等生で良い子だったのよ。
初めての子だから、そりゃあ夫さんも可愛がってね。
どこで、どうなったのか?
高校の卒業を待たずにある日のこと…
『自分という人間は誰なのか? それを探しに放浪の旅に出ます』
そう書置きを残して、家を出てしまったのよ。
今で言うところの"アイデンティティ"? そんなものに目覚めたのね。
"青天のへきれき"という言葉を思い出したほど、驚いたわ。
夫さんは警察に捜索願を出せだの。交友関係を調べて連絡を取れだの…
うるさいくらいに騒いでね。
そりゃあ女の子だし、まだ17歳の子供でしょ。私だって心配したわよ。
無事を確認するまでは、色々と悪い事ばかり考えちゃって
食事も喉を通らないし、眠れやしなかったわ。
でもね。家出の理由に妙に共感しちゃって…
「本人から連絡が来るまで、とにかく待ちましょう!」と
夫さんを説得したの。
「君は、それでも母親か?!」なんて言われたけど…
母親だからこそ! 自分の娘を信じてあげたいじゃない?
それでも心の中では、葛藤が続いていたわよ。

家出から1ヶ月程して、1枚の絵葉書が届いたの。
『今、北海道の牧場で住み込みのアルバイトをしています。
夏は素晴しい所! 広くて、どこまでも空が続いてて…
日本とは思えないです』
書いてあったのは、それだけ。肝心な住所も牧場の名も書いてないの。
裏には乳牛の笑ったような、お顔の写真。
どうやって北海道まで行ったのやら…とにかく無事を知り、一安心。
夫さんは、消印の地名を中心に片っ端から牧場と名の付く所に
電話をかけて所在を確認したけど、分からなかった。やれやれ。
それから3ヶ月程して再び、絵葉書が来たの。
『沖縄の海は最高! 11月というのに、まだ泳げるのよ!
釣り宿でバイト中。毎日、小舟に乗って海へ出るから
真っ黒けだー! ハハハ』
今度は、大きな大きな蛸の写真。海をバッグにした巨大蛸の絵葉書なの。
牛や蛸じゃなくて、本人の姿を見たいというのに…
バカ娘は親心なんて、ちっとも分かってやしないのよ。
その後もね。
"博多どんたく祭り""京都葵祭""徳島阿波踊り""青森ねぶた祭り"…色々。
全国のお祭りを追っかけて移動するように、絵葉書が次々と届いたの。
相変わらず、そっけない文面でね。
「心配かけてごめんなさい」だの「お父さん、お母さんは元気ですか?」
そんな言葉、一度も書いてこないのよ。3年位、続いたかしらね。
3年目の年明けに…
「今年、夢子は成人式よ」とだけ、夫さんに言ったの。
そしたら、もの凄い剣幕で
「そんな奴は、この家には居ない! 居たとしても勘当だ!!」って…
夫さんにしたら父親として、あんなに可愛がった娘に裏切られた
というか…
ううん。本当は、娘が3年間一度も帰って来ずでとても寂しかったのね。
父親のそんな怒鳴り声が聞こえたかのように、プッツリと
絵葉書さえ届かなくなったの。
生きているのか? 死んでしまったのか?
行方不明になってしまったような気がして…
だけど、親だもの。1秒たりとも忘れたことなんてありゃしなかったわよ。
咲子や雅の高校や大学受験が次々と順番にあったり。
夫さんの単身赴任があったりと、忙しさに気を紛らわせていたわね。
夫さんが、やっと本社に戻った頃に雅の"できちゃた婚"でしょ?
「母親のくせに何やってるんだー!!」って八つ当たりよ。
夫さんは、定年まで数年という時に単身赴任を命ぜられ、ピリピリしてたのね。
我が家では"リストラ""窓際""夢子"が暗黙の禁句だったわよ。
私なんて"母親失格!"の烙印を押されたもの。
すったもんだとあったわね。
でもね、双子ちゃんの誕生で夫さんも徐々に変ったの。
不思議よね。赤ん坊が私たち大人に…
『こっちへ進みなさい』と教えてくれたような気がするわ。
つづく