まんじりともしない一夜が明けた…ん?外は、まだ暗いな。明けたのか?
何時だろう?オレの腹時計は、すでに朝食タイム。
6時起床のはずだけど、シーンと静かだ。高イビキが聞こえる…誰だろう?
相変わらずケツは痛い。。。
布団の中でグズグズしていると、部屋の照明が点いて明るくなった。
ドクターとキヨハラ婦長が、セットで入ってきた。ちゃんと仕事着姿だ。
ドクターの手には、ハリセンではなく、竹刀が!
「おはようさん!みんな起きたか?おっ?! まだ、イビキかいて寝とる”大物”がおるな。
いつまで寝とるんや?」
布団の上から、林さんのお尻を軽くパシッと叩いた。なんと高イビキは、美人婦警の林さん!
「どうや?」 「眠れなんだか?」 「具合、悪いことないか?」…などなど。
一人一人の顔を見ながら、優しく声をかけていたドクターは、植田さんのところで止まり、
馬乗りになった。
ヒッ!と悲鳴を上げて、お尻を持ち上げる植田さん。
ドクターは、その尻を竹刀で小突きながら話し始めた。
「そのままでええから、みんな、よおく聞いといてやー!ええか?
まずぅう、着替えの前にトイレ・洗面を済ませた者から順番に診察室へ入って!
全員の診察が終了したら、飯、食いに行ってもらうんやけどお。。。場所はやな…
婦長、頼むワ。大将、しっかり聞いときや!」
グリグリと植田さんの尻攻撃は続く。婦長が引き継いで、場所の説明を始めた。
説明によると、医院の前の道を左に真っすぐに行く。
コンビニが見えたら、左に折れて再び、真っすぐ。
突き当りにJRの高架線が見えてくる。その高架線の真下、ど真ん中辺りに
オレ達のお食事処、”おかめ食堂”があるんだそう。
入院費の中に”食事代”が含まれているので、『〇〇医院の入院患者です』と言えば
財布を持たなくとも、三度三度の食事ができるそう。
「コンビニで要らんモン、買わんで済むように財布は持っていくな!」と、ドクターからの命令。
バタバタと部屋を出たり、入ったり。。慌しく診察を済ませ、着替えて外に出た。
ブルッ。さすがに寒い。吐く息が白い。ようやく陽が昇った頃で、往来もまだ静かだった。
街路樹に取り付けられた電飾が、朝日に反射して光っている。
そうか…来週は、クリスマスだったんだ。イヴに退院だったよな。
こんな目にさえ遭わなければ、彼女と二人で楽しいクリスマスを過ごせたのになぁ。。。
彼女は今頃、どうしているんだろう?
「全員、揃った?ほな、行きまひょか!」
ハリセンに”大将”と呼ばれ、リーダー役の信頼を得た植田さんを先頭に
狭い歩道を縦1列となって、”おかめ食堂”に向かった。
みんな、しかめっ面のヘッピリ腰で、右・左・右・左…と一歩ずつ踏みしめるように行進。
その光景はまるで、ここが雪山だとしたら…いつか観た映画”八甲田山”の1連隊のようだった。
普段のオレの脚なら5分の距離に、20分位かかって、ようやく到着。
”おかめ食堂”は、想像以上に酷かった。
ズラリと飲み屋が並んだ高架下のど真ん中。ボロボロの引き戸の隙間から、湯気がもれている。
表の看板に『朝5時~夜8時 営業。〇〇職安推薦の安くて旨い店!!』と、大きく書いてある。
きっと近所に職安があって、仕事を探しにやってくる人たちの食事処でもあるのだろう。
中に入ると狭い店内は、石油ストーブの熱気と厨房から流れてくる熱気と匂いが、
ムッと迫ってくる。
大将・植田さんが「〇〇医院の者ですが」と声を掛けると、”おかめ食堂”のおかみさんが
(なるほど、おかめ顔だ!)
「あいよ!そこの6人掛けに座って。今朝だけサービスで運ばせてもらうけどね。
うちは一応、セルフサービスだから。お昼からは、あっちのカウンターに並んだおかずをね、
好きに3品選んでさ、お盆に載せてこっちに並んで。そしたら、アタシらが熱々のご飯と
汁物を中から載せるから。ご飯はおかわりできるわよ。女性の人は多かったらさ、減らすから。
箸付ける前に言ってね。はい、お待ちどう。栄養つけて、早くよくなってね!」
素早く体を動かし、次々とテーブルに運びながら、一気に言った。
今朝のメニューは、ご飯・わかめの味噌汁・煮魚・香の物・味付け海苔・納豆・生卵だった。
好き嫌いもなく、昨夜はOB差し入れのバナナ数本だけで空腹だったオレは、きれいに
平らげたけど、皆は辛そうだった。
オレは金も無い学生だし、質より量が勝っているから、うらぶれた下町のこんな感じの店だって
決して美味しいとは言えないメニューだって文句はないけれど、皆は不服そうだった。
きっと、常日頃から美味しいものばかり口にしているんだろうなぁ。
電車が通るたびに店全体がガタガタと揺れ、落ち着かないボロい店だしな。
ぽつぽつと労働者風のおじさんたちが一人客で入って来て、天井低く狭い店内が
いっぱいになった。「ごちそうさまでした!」
部屋に戻ってからも何だか皆、どんよりと疲れた顔だった。
午前中の外来診察時間が近付いてくると、大部屋にも見舞客がやってきて
医院全体的に賑やかになってきた。
おふくろが10時を過ぎた頃に、大きな紙袋をいくつも提げて現れた。
「息子がお世話になります」と言いながら、居合わせた全員に頭を下げ、持参した大きな
お菓子の缶から、クッキーやチョコを配り回っていた。
営業職ベテランのおふくろは、自然に誰とでも話をするが、息子のオレはてんでダメだ。
林さんのダンナさんと子供がやってきた。子供を抱く姿は、やはりお母さんだなぁ。
警察官のダンナさんは、なかなかのハンサム。たくましい体もカッコイイ!お似合いの夫婦だ。
やんちゃそうな男の子は、向いのオレに興味津々の視線を向ける。どうしよう?ガキは苦手だ。
戻ってきたおふくろが挨拶しながら、遊び相手になっている。ほっ、よかった。
何を話しているのか知らないが、どうやらオレが話のネタにされているようだ。
強引におふくろがオレを引き込む。口下手なオレも、おふくろのおかげで林さんとの距離が
一気に近付いたようだった。おふくろに感謝!
やっぱり個室で一人、痛みをこらえてモンモンとしているよりも気が紛れるよな。
誰かれとなく談笑しているうちに、あっという間に午前の面会時間が過ぎてしまった。
朝と同様に6人で”おかめ食堂”に行って戻り、銭湯行きの時間まで大将・植田さんを中心に
世間話や尻の具合をワイワイと話して過ごす。
銭湯”梅の湯”も、〇〇医院ご用達だ。婦長の朝の説明によると、他の客に迷惑がかからぬよう
開店30分前からの入浴を頼んであるらしい。
着替えや洗面道具を持って、全員で”八甲田山”行進。”おかめ食堂”とは反対方向にある。
新しい顔ぶれを番台からシゲシゲと見回して、”梅の湯”のおかみさんが言った。
「今週は、みんな良さそうな人達でよかったわ。トイレはあそこに衝立があるでしょ?その奥。
万が一、もよおしてきたら、なるべくトイレでお願いね。
洗い場だったら流せるけどさ、湯船の中だけは勘弁してよね」
そんな、まさか!? いくらなんでも赤ん坊じゃあるまいし、湯船の中で脱糞する大人がいるわけないだろう…そう考えて当然だろう?
だが、しかしだ!我が目を疑う出来事が、この後、起こったのだった。
つづく