それは、豪華なホテルの最上階、スィートルームに
たった一人で、泊まった夜のことだった―
新しいプロジェクトのリーダーにされた俺は、出張先で得意先企業の接待を受けて
いい加減、酔っていた。
その夜、三軒目のバーで、最終の新幹線に乗って帰れるか? と気になり始めた頃…
「宿泊のご用意もできております。
是非、素晴しい夜景でも眺めながら、ごゆっくりとお過ごし下さいませ」
そう言って相手は、バーのカウンターにカード・キーを置いた。
驚いた!
都心の一流ホテルのバーに座っていることさえ、これまでの
俺の人生には無かったことだ。
最上階のスィート・ルームだってぇええ!!?
いくら接待を受ける身とはいえ、俺なんて一介のありふれた企業のサラリーマン。
しかも平社員だ。将棋で言うなら『歩』の駒の一つさ。
そんなこの俺に一泊、一ヶ月のサラリーが飛んでしまうような部屋に
泊まってくれだなんて…どうかしてるんじゃないか?
酔った頭の中に『辞退すべし!』と、声が響いている。俺は丁重に断ったのだが…
「明日の朝、このホテルから駅までお送りさせてもらうタクシーの
手配もしております。今夜、ここに宿泊していただかないことには
自分は、このプロジェクトから外されてしまうかもしれない…
後生だから、お願いします」
相手が困惑した顔で言い、頭を何度も下げるんだ。
何か裏でもあるのか?
アルコールの酔いで冷静に考えられない頭で、様々な憶測を経ててみた。
…が、何も無い。キレイなもんだ!
俺は相手の言葉に甘えて、その部屋に泊まる事を承諾してしまった。
エレベーターの扉が閉まるまで、相手は深々と頭を下げ、この俺を見送ってくれた。
最上階のボタンを押したものの…少々の不安が、胸をよぎった。
エレベーターが停まり、一歩、廊下へと踏み出す。
靴の底が吸い込まれてしまうような、ふかふかの絨毯が敷き詰められている。
ひときわ照明の明るいところに出た。この階専用のフロントだ。
カード・キーを渡して、チェック・インの確認をした。
ベル・ボーイが廻ってきて、俺の手からビジネス・バッグを受け取り、部屋まで案内してくれた。
部屋の隅々まで、簡潔に説明を済ませると
「何か御用がありましたら、24時間常時、承っております。
どうぞ、ご遠慮なくフロントまで、お申し付け下さいませ。
本日は当○○ホテル、スィート・ルームのご利用を賜り、誠にありがとうございました。
それではどうぞ、ごゆっくりとお寛ぎくださいませ。失礼いたします」
うやうやしく頭を下げて、部屋を後にした。
うひょお~~~~!!! なんてスゲェ部屋なんだ!
照明や空調のパネルスイッチを一つずつ、確かめながら押してみた。
照明を一杯に落とし、エアコンの温度を少しだけ上げた。
『カーテン』を押すと、壁一面パノラマのような窓のカーテンが
自動で、スルスルッと開いた。
ワァ~~~オ!!! ビューティ・フォーーー!!!
最上階だけあって、見事な夜景だ!まさに宝石を散りばめたような輝き!
慰安旅行で行った、香港の夜景を思い出すなぁ。素晴しさに感激したなぁ。
ホーム・バーからスッコチをグラスに注いで氷を入れる。
ソファーに腰掛け、しばし夜景に見惚れていた。
ネクタイを弛め、上着を脱いで横になった。
遠くに見える高層ビルの窓一面に、ツリーやサンタの形をしたイルミネーションが
次々と消えては現れる。
あ! そうかぁ。今日は24日。クリスマス・イヴだ!
なんともゴージャスなイヴの夜だけど…俺一人というのも、侘しいもんだ。
まっ、仕方ないや。自分の力でこんな所で、イヴの夜を過ごすなんてことは
夢のまた夢だしな。サンタさんからのプレゼントかもしれないな。
ハッ! と気付いたら、いつの間にかソファーでうたた寝していた。
さ。お風呂にでも入って、スペシャル・ゴージャスなダブルベッドで
ぐっすりと眠るとするか!
またもやワァ~オ!! 大理石のバス・ルーム。ジャグジーにサウナまであるじゃないか!
よぉおし! 一生に一度のゴージャスなバス・タイムを満喫するとしよう!
サウナでたっぷりと汗を流してアルコールを抜き、ゆっくりとジャグジーに
目を閉じて浸かった。あー。気持ちいい! 極楽・極楽だ。
ん? 音楽が聞こえる。気だるい感じのボサノバ♪
柔らかなギターの調べと、心地よい女性ヴォーカル。
じっと耳を澄ましていると、数年前に別れた彼女を思い出した。
入社したての会社で先輩が、人数が一人足りないと言って、無理矢理に
連れて行かれた合コンの席で知り合った。気が合って、すぐに付き合い始めた。
二年も続いただろうか? あの頃…
だんだんと仕事が忙しくなり、デートの約束もキャンセルしてばかり。
俺自身、何が楽しいって…彼女とのデートよりも仕事の方が楽しかったんだ。
ある日、そんな俺に愛想を尽かした彼女から、真夜中に電話が掛かってきた。
俺は連日の残業で、疲れてグッスリと眠り込んでいた。執拗になり続ける
電話に這って行き、受話器を耳に当てると彼女の声が…
「仕事も大事でしょうけど、あなたって最低! サヨナラ!
もう二度と電話もメールもしてこないで!!」
「もしもし」も言わずにいきなり、こうさ。
その日は、とびきり忙しくて仕事に飛びまわっていた。約束したことすら
いつの間にか、忘れていた。連絡もしないままのドタキャンになってしまった。
とりあえず今は、眠らせてくれ! 疲れ切っていた俺は受話器を置いて再び床へ。
あくる日、夕べのおぼろげな記憶を辿り、俺達の関係が終ったことを悟った。
ま、仕方ないか…仕事に没頭していたあの頃、彼女には悪いと思ったが
彼女の気持ちを思いやることもできない、バカな俺だった。
どうしているのだろう? あれ以来、恋人もなく仕事一筋の俺だが…彼女は?
幸せに暮らしているならいいな。きっと恋人もいるだろう。結婚したかもしれないな。
もし、この俺に恋人がいたなら…今すぐ、ここへ来てほしい。
そして気分だけでもいい。ゴージャスにイヴの夜をとことん過ごしたい…
つづく