プシューッ……キュルルル……キュキュ
ん? 何だろう?
ハッ! いつの間にか眠り込んでしまっていた。
ま・眩しい…
どうやら嵐もすっかりと去ったようだ。
キュキュ…キュキュ
イルカだ!
おお! イルカが何頭もオレのヨットに伴走するように泳いでいる。
時折ジャンプして、その姿を現す。
なんて可愛いんだろう。おはよう!
今日はいい天気だな。波も穏やかだ。
ザッバーン!!
おっ?! 今度は何だ?
遥か先に巨大な鯨の尾びれが見えた。
奴もジャンプして潜ったのか?
頼むからオレのヨットの下から浮き上がってくるなよー!
昔の二の舞だけは、ご免だからな。
まばゆい陽光のシャワーを浴びて、すがすがしい風の中、オレは立ち上がった。
青い空と白い雲。太陽と風。そして、見渡す限りの海!
オレは生きている! なんて感動的な朝なんだ!
方角を確認し、舵を取る。
よし! このままうまく行けば、2週間ほどで到着かな?
機械の故障が無いか点検だ。
おっと。その前にしっかりとオレ自身への燃料補給をしておこう。
食欲を感じる。よかった。生きている証拠だ。
人生のスパイス―
迷いも吹っ切れ、一大決心をしたあの日から3年が経っていた。
再び、単独での太平洋横断に挑戦したのだ。
スパイスと呼ぶには、あまりにも刺激が強く、相応しくないかもしれない。
決して刺激を求めての旅ではない。
が、やはりこの旅は、オレの人生での重要なスパイスなのだ!
この世に生まれて『どうしてもやり遂げたい!』という
強い願望と出会ってしまった。
それがヨットだ!
何人もの先人がすでにゴールしている太平洋横断一人旅だ!
一度は挑戦したものの、思いも寄らぬアクシデントで断念。
人生の転機を何度か迎え、守らねばならぬものが増えていった。
家族、仕事そして教え子達、己の命、財産(と言えるものではないが)
このまま守り続けて人生終えるのか? そして、その守るべき大切な
ものを犠牲にしてまでも挑む価値が、本当にあるのか?
そんな思いが、くすぶり続けたままで暮らしていたんだ。
この旅で万が一のことも考えて、できる限りの対策もとった。
やはり独身の時とは違い、用意周到な準備に3年もかかってしまった。
5月20日。前々日から移動していた実家のある堺市・石津港から出港。
家族と両親が、早朝に見送ってくれた。
下の小学生の息子が泣きじゃくっていた。心痛かった。
途中、トビウオの大群に何度か遇う。
よく飛ぶものは100m以上も飛び、尾びれを水面に少し接触させながら
うまく波をかわしていく。職魚技だ!
夕方、潮岬沖を通過。漁船やタンカーが、ひっきりなしに行き交うので
仮眠ができない。3日間ほとんど眠れず、八丈島を通過してからは
船を見なくなる。
航海の前半は、機械的なトラブル続きだった。
必ずどこかが壊れ、分解・修理する毎日。幸運にもすべての原因を
見つけることができ、修理も可能であった。
順調に帆は進み、波の穏やかな日は釣りをした。
何度か海面すれすれを飛び交うカモメを釣ってしまった。
出来る限りの休養をとるために、こまめに食事を摂り、眠った。
航海の後半は、嵐の連続だった。
日付変更線を超えた辺りで、海が荒れだした。
今まで船酔いなどしたことがなかったのに、死ぬかと思うほどの
船酔いが3日ほど続いた。
船が潰れてくれれば、今すぐにでも帰れるのに…なんて本気で考えた。
いかん。いかん。海の妖怪のお出ましだ。弱気になると、どこからともなく
妖怪が船に現れて、沈没させようと企むらしい。
航海前に先輩からもらった穴の空いた柄杓を出して、妖怪へプレゼントしなければ!
そうすれば、いくら海水を掬い船に溜めようとしても徒労に終わり
妖怪もあきらめ、消え去るというジンクスだ。
しかし、嵐は一向におさまらず、荒れ狂いだした。
学校の校舎ほどもある波が、次から次へと何日も続いた。
その波に翻弄され、潜水艦のように水中に潜っていったり
まるでサーフィンでもするように波乗りしたり…
1週間もジェットコースター乗り放題状態が続いただろうか?
海上ジェットコースター内での食事・トイレは至難の業である。
嵐などに負けてなるものか! と次にとる自分の行動を大きな声で
言い続けた。パニックに陥らないように努めて冷静を装った。
海上ジェットコースターから、ようやく開放された。
しかし、身体がかなり参っていた。辛かった。
その辛さを乗り越えられたのも2枚のTシャツのおかげだった。
出発する前にもらった2枚のTシャツ。
1枚は、妻と中学生・小学生の息子二人が描いたヨットの絵と
頑張れメッセージが入ったもの。
そしてもう1枚は、前年に担任をしたクラスの生徒達全員と
顧問である陸上部の生徒達の寄せ書きのもの。
『ファイト一発!』『先生カッコイイ!!』『夢叶えろよ!』
『さっすが宇宙人ティーチャー!』『海の男!』などなど。
一人一人の個性ある一言メッセージが、ぎっしりと妙なイラスト
(オレの似顔絵らしいが)とともに書かれてあるのだった。
家族はもちろんのこと。生徒達の顔・声がTシャツに書かれた
一言を見るたびに思い出され、オレは励まされた。
必ず帰ってやる! おみやげ期待して待ってろよ!
クソッ。このまま死んでたまるか! 負けるものか!
その2枚のTシャツをずっと着たままだった。
最初は珍しかったイルカもごく自然の光景となっていた。
くじけそうになると必ず、出発前のみんなの笑顔を思い出したのだ。
徐々に何に対しても平常心で取り組めるようになった。
今回の旅の到着地『サンフランシスコ』は近い!
もうじきだ! 頑張れオレ! と自らをも励ました。
船の往来が多くなってきた。その上、霧も出てきた。
漁船やタンカーのエンジン音は聞こえるのだが、霧で何も見えない。
ここで寝てしまうと、船かアメリカ大陸に衝突してしまうため
必死で睡魔と闘った。
2~3日間、眠らずに一路サンフランシスコを目指した。
少しずつ霧は晴れてきた。
7月4日。ポイントレイズの燈台が見えた。
大阪からサンフランシスコまで約10,000km。46日間の航海だった。
ゴールデンゲートブリッジをくぐった瞬間、オレは何にも変えられない
喜びが、身体の奥底からわきあがってきた。
思わず立って、両拳を突き上げてガッツポーズした。
ありがとう。初めに妻に言いたい。そして息子達に。
そして両親や友人。そして教え子達のみんなに。
本当に感謝している。何度言っても足りない。ありがとう!
このサンフランシスコで終わるはずの旅であった。
が、流れ落ちる涙とともにその気持ちは一瞬にして消えた。
オレはヨットを売らずに、次のハワイまでの海図を出し
航海計画を練り始めていた。
おわり 2006.5